あにから!

大門一也/田中昌之(だいもん かずや/たなか まさゆき)

プロフィール

大門一也/田中昌之
田中昌之さんと、大門一也さんが一緒に歌いました。詳細は引用をご覧ください。

■田中昌之
日本の歌手。佐賀県伊万里市出身。血液型はAB型。
本名同じ。旧芸名は田中 雅将、田中 雅之。愛称は「マー坊」。ロックバンド「クリスタルキング」の元ボーカルとして知られる。
1971年に長崎県佐世保で中村公晴・山下三智夫、他二人と共にクロスロードを結成、米軍キャンプ、ディスコ等で活動していた。
1975年より、ボーカルとして「クリスタルキング」に参加し高音パートを担当。1979年にクリスタルキングとしてキャニオン・レコードより「大都会」でデビュー。同曲は売上150万枚を超すヒットとなり、第18回ヤマハポピュラーコンテストにおいてグランプリ受賞、第10回世界歌謡祭でグランプリと歌唱賞をダブル受賞している。
「大都会」でのデビュー時には「スリーオクターブの美声」というキャッチフレーズで紹介されたが、本人は新聞のコラムにて「実際に高い音は、出そうと思えばどこまでも出ていましたよ。ピアノの最高音を超えるぐらいね。」と語っている。「AN END」(ソロ曲)ではソプラノばりの高音を歌っている。力強い高音に目が行きがちだが、「サマーシェイド」という曲では野太い中音を聴くことができる。
1986年にクリスタルキングを脱退しソロ活動を開始。同年「1000カラットのサマーブロンズ」がUCC缶コーヒーのCMソングとなる。
1989年6月、バンド仲間との草野球の試合中に打球が喉を直撃し、声を一時的に失う。その後声自体は回復したものの、かつてのハイトーンボイスは失われた。田中は「「ハイトーンなら自分が一番」と思っていた、そのスキルがなくなった。誇り高いはずの男が、人格を全否定された。生きる意味がない」と約3年間悩み続け、歌を辞めようかと思った時期もあったという。
しかしその後、友人である福岡ダイエーホークス(当時)の若井基安に「どんな豪速球の投手でも、いつかは変化球で勝負しなければならない日が来る。お前は変化球で勝負する勇気がないのか」と言われ、はたと気がついた。その瞬間、歌を続けようと決心した。その時、思わず「(自分に気づかせてくれて)ありがとう!」と言ったほどである。それをきっかけに現実を真正面から受け入れて、代償として得たハスキーボイスを売りにするようになる。
1990年代の前半頃は九州・福岡の繁華街である天神のパブにてバーテンをしながらショータイムに出演し、再びメジャーな舞台での活躍を模索していた。
1995年10月、クリスタルキングに再加入するが、1998年10月に再脱退。
1997年、ポッカの缶コーヒー「クリスタルブラック」のCMに出演した事で再ブレイク。CMはシリーズ化され、その年のCM好感度タレント第1位となる。
1998年、特撮テレビドラマ『ウルトラマンガイア』の主題歌を大門一也とのユニットで歌唱。2000年には特撮テレビドラマ『仮面ライダークウガ』の主題歌を歌唱。
2003年に芸名を田中 雅将に改名。さらに2004年に芸名を田中 雅之に改名。
2013年2月より、芸名を本名の田中 昌之に戻し活動している。
自分の葬式にはレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を流してほしいと言うほどのZEPフリークとしても有名であり、特にロバート・プラントを神と崇めている。

■大門一也
東京都出身の歌手、作曲家。
1988年、徳間ジャパンコミュニケーションズよりデビュー。その後、郷ひろみや光GENJIなどに楽曲を提供している。
1998年、田中昌之と共に『ウルトラマンガイア』の主題歌を歌った。この頃『快進撃TVうたえモン』に出演、田中と共に『ガイア』の主題歌だけではなく『北斗の拳』の主題歌も歌っているが、これはオリジナルを歌ったクリスタルキングの出演が叶わなかったための代役である(田中は元クリスタルキングだが大門は無関係)。
1999年、Project DMMを結成。多くの楽曲で作曲や編曲を手掛けている。
幸福の科学の会員で、映画『永遠の法』(2006年公開/幸福の科学出版ホームページ)のテーマソング「幸福の天の河」、「永遠の不思議」の歌唱者としてクレジットされている。その他、幸福の科学関連でも数多くの作曲や編曲を手掛けている(JASRACデータベース参照)。
2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙に東京都第7区から幸福実現党公認候補として出馬、落選した。
現在は、自身のボーカルスクールを運営している。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
2014-08-31 00:00:00 UTC
URL: http://ja.wikipedia.org/

大門一也/田中昌之の楽曲